2024.6.24
「地球環境科学と私」第四十五回は大気水圏科学講座 藤田 耕史さんによる うまくいかなかった観測の話 です.
私の主要な研究テーマはヒマラヤの氷河変動ですが、時折、中央アジアのアイスコア掘削にも参加してきました。これまでにうまくいった掘削は、多少時間がかかっても論文という成果になりますが、うまくいかなかった場合は論文になることもなく、人知れずモヤモヤを抱えることになります。そこで本稿では、過去の失敗例を紹介して、この時のモヤモヤを成仏させてみようと思います。
2009年にタジキスタンのフェドチェンコ氷河でアイスコア掘削を試みました。2000年以降の中央アジア各地での掘削成功を受け、アメリカ、ロシア、ドイツとの共同研究として準備を進めました。フェドチェンコ氷河は全長70 kmのユーラシア最大の氷河であり、当時干上がりつつあったアラル海の水源となっています。この源頭にある雪原の標高5400 mにて掘削し、この地域の水資源の変動を明らかにしよう、というのが目的でした。アイスコアの掘削機材は大変重いので、ヘリコプターを使うことが多く、チャーターのための交渉は観測成功のためにとても重要です。この時の計画では、リーダーであるロシア系アメリカ人の共同研究者がタジキスタンの軍と交渉しました。高所順化のために標高4000 mの氷河脇にある(当時無人となっていた)気象観測所で数日滞在した後、ヘリコプターで現場に向かいました。ところが、予定地への道半ば、というところでヘリコプターが旋回を始め、高度を下げ、ついには着陸してしまったのです。副操縦士が荷物を降ろせというので、「えっ、ここで?」と疑問に思いつつも荷物を降ろしました(写真1)。予定地よりは低いとはいえ標高5000 mなので、1トン近い荷物を降ろしきるころには立っていられないくらい息が切れます。ヘリコプターが去ってようやく静寂が戻り、リーダーが呆然かつ憤然としつつ説明してくれました。「交渉時には「OK、OK、フライトは全く問題ない」と言っていたのに、飛行中に操縦席に呼び出され「実は5000 m以上を飛ぶライセンスが無いのでここに降りるから」と言い出して着陸した。おまけに去り際に「迎えのフライトに来てほしかったらあと7000ドル払え」と言われた。」と。みんなが呆然としていると、当研究室から参加していた女子学生(当時D2)が「パイロットに投げキッスされた」(ちょっと君は黙ってて)。リーダーの想像では、相当な額のチャーター料は支払ったが、窓口役の軍のお偉いさんがポケットに入れ、パイロットにほとんどお金が渡ってないのではないか?とのこと。
写真1 すさまじい風圧と薄い空気の中、ヘリコプターからの荷下ろし。
気を取り直して、というか、騒いでもしょうがないので、生活環境を整え、予定していた掘削に取り掛かりました(写真2)。数日掛けて掘削場と解析場を準備し、いざ掘削を始めたところ、数m掘ったところで水が出てしまいました。掘削機が防水仕様でないのと、水に浸ったアイスコアからは過去の記録が失われているので、掘削はもちろん中止です。翌日、上流側に数100 mほど人力で掘削機を運んで再挑戦するも(写真3)、ちょうど稼いだ高度分だけ深い10 mで再び水。掘削はあきらめざるを得なくなりました。
写真2 キャンプサイト。
写真3 新たな掘削地点へ人力でアイスコア掘削機を運ぶ。
「迎えが欲しかったらあと7000ドル」については、我々日本チームが掘削で苦しんでいた間に、リーダーが衛星電話で交渉した末、追加の支払いは不要と確認できたとのことでした。その迎えが来るまでの日を使って、予定していたサイトを偵察しに行くことになりました。標高差ではわずか400 mですが、氷河の傾斜が緩く、距離は13 kmありました。往復25 km近いハードなピクニック(と言いつつ、積雪サンプリングとレーダー観測はしました)となりましたが、眺めは最高で、かえすがえすもここに着陸できなかったのは残念でした(写真4)。
写真4 迫力満点の予定していた掘削サイト。
参加メンバー全員にトラウマを残し、「もう二度とタジクにいくことは無いだろう」と思っていましたが、ひょんなことから再びパミールの地でアイスコアを掘削する計画に誘われ、現在準備を進めています。果たして今度は無事予定のサイトに着陸することができるのでしょうか?着陸してくれたらパイロットに投げキッスしてあげたいと思っています。