2019.7.24
「地球環境科学と私」第十四回は大気水圏科学講座教授 須藤健悟さんによる モデルシミュレーションで漂う理学と工学のハザマ です.
幼稚園児だったころ、私はどういうわけかゴミ収集車やバキュームカーに憧れを抱き、清掃員になることが夢だったことをぼんやりと記憶している。あいにく、その夢はかなうことはなかった(自宅では清掃業務担当だが…)。中学時代には雑誌ニュートン等で、宇宙や地球・惑星に興味を持つと同時に、ロケットや航空など、工学の世界に憧れの対象を変えていった。その後入学した東大・理科一類では、理学部・工学部等のどの学科に進学するか1年間の猶予があったが、必須であった製図・工作の実習で、自分のモノづくりセンスの無さを思い知り、理学部へと舵を切っていったことを鮮明に憶えている。思えば、幼少期より、折り紙を折れば、他の皆やお手本とは全然違うモノができたりと、あまり器用な部類ではなかったので、もう少し早くに気付くべきだったのかもしれない。かくして、2年生の後半からは、理学部・地球惑星物理学科へ進むことになったが、この選択には中学時代に自ら抱いた興味に加え、少しでも人間生活に直結した分野を…という、工学への一抹の未練が垣間見れる。
大学4年生の卒業研究では、その当時気候システム研究センターに所属していた故沼口敦先生のもと、熱帯域の水蒸気の収支・変動の研究を行い、研究工程とはどのようなものなのかということに初めて触れることとなった。この沼口先生は、MIROCという日本を代表する気候モデル(温暖化予測モデル)を独力で、一から開発してしまうという怪人であり、その天才ぶりに日々驚愕すると同時に、私生活を捨てた、研究者の真の鑑のような熱意に「引いて」しまったのも事実であった。その後、沼口先生は(自然が好きという少年のような理由で)北大に転出し、私はめでたく(?)、同センターの別の研究室にM1の途中から異動することとなった。まだ研究テーマが定まっていなかった私は、「人と違うことをしなさいよ」という別の先生からのご忠告を真に受け、大気汚染物質の気候影響を取り入れた、化学気候モデルという当時まだあまり注目されていなかったモデルの開発に乗り出すこととなった。このモデル開発を開始してからは、大気中の各種化学物質の200種類以上におよぶ化学反応・光解離反応に加え、発生・輸送、地表面・降水による除去、放射への影響などの各過程の計算を上述のMIROC気候モデルへと導入する作業をとにかくガムシャラに行った。もちろん、最初のころは、慣れない、見様見真似のプログラミングでは難航することも多く、うまくいかない際には、就寝時に延々とソースコードを書いては消す…という悪い夢にうなされることもしばしばであった。そのころ、NHKのプロジェクトXという番組で、技術者たちが困難に打ち勝つ的なサクセスストーリーを放映していたが、モデル開発中の私の頭には、その番組の主題歌である中島みゆき「地上の星」がエンドレス再生され、唯一の心の支えとなっていた。
その後、化学気候モデルの開発作業は検証段階に入り、オゾン、メタン、NOx、SOx、CO、VOCsなどの重要物質の全球分布や季節変動について、モデルv.s. 観測で予想以上の一致が確認された際には、達成感と同時に、高揚感を覚えたものである。前者の達成感については、単にできるだけ観測・実体と似た世界をコンピュータ上に作り出したいという物まね芸人の精神であり、ある意味、工学的な欲求からくるものと理解される(手先の不器用な私でも、また観測にくり出さなくても、実現可能な仮想工作ということで、小気味よさがあった)。 一方、このときに感じた高揚感は、ようやくこれで、各種物質の分布・変動、気候影響や、それらのメカニズムについて、各要因に分離する形で理解できるようになるであろうという理学的興味からくる期待感なのだろうと今になって思い起こす。このような2種の感触は、現在まで一貫しており、工学的側面では、生態系と結合した地球システムモデルの構築や、データ同化、温暖化予測、温暖化抑制策の構築などに発展させるとともに、理学的側面からは、大気汚染物質や大気組成の全球変動メカニズムやその気候影響の評価に進展している。ちなみに、化学気候モデルで計算される重要物質の一つにOHという非常に短寿命なラジカル種があり、全球OH分布の過去~将来の長期変動が大きな議論となっている。このOHは、汚染物質やメタンをはじめ、大気中の様々な物質の酸化・除去を担い、大気の「ごみ収集車」となる物質であり、冒頭で紹介した幼稚園時代の夢は、現在の仕事につながる伏線となっていたようである。
ここまで、あえて理学と工学を意識しながら自らの研究歴を綴ってきたが、地球環境科学の分野では、とくに近年、理学と工学の境界がますます希薄になってきていると感じる。これから研究を開始しようとされている、あるいは研究を開始して間もない若い方におかれては、自分がしたい、あるいはしている研究の軸が、純粋なサイエンスとしての理学にあるのか、それとも、社会貢献的ゴールを目指す工学にあるのか、少しでも意識しておくことをおすすめしたい。